10歩目 少女はヘッドホンで耳を塞いで、世界の声を聴いている。(後篇)


外界からの音を遮断し、自分の求めている音だけを聴くことのできるヘッドホン。
しかし、他人がつけているのを観ると、危なかっしさや、うとましさを感じることが多い。実際、周りで何が起こっているのか気づかず、事故の原因となったり、迷惑の原因になったりすることは、かなりある。

例えば、電車の中でも、大学の構内でもいい。大きなヘッドホンを頭に被って、大音量で音楽を聴いているような人間に、温かいまなざしを向けることはできるか。
そんな人に会ってしまったら、しかめ面をして、自身もまたカバンからいそいそとヘッドホンを取り出して、漏れてくるノイズから身を守るしかない。通勤ラッシュ時の京王線では胸ポケットにiPodをしのばせて、憂鬱そうにイヤホンを装着する年配のサラリーマンの姿をよく目にすることが出来る。自分を外側から切断するためのヘッドホン。

このように、ヘッドホンを付けるとき、自分と、自分の外側とを自然と意識する。
しかし、どうして外側を意識しなくてはならないのだろう。
道を歩いていてカラスの鳴き声や車のエンジン音、往来する人たちのざわめきを聴くことと、ヘッドホンで音楽を聴くこと、二つは聴くという意味で何ら変わらない。同じ音楽でもスピーカーとヘッドホンでは、聞くという行為では同じなのに、外側を意識するのは、やはりヘッドホンである。どうやら、音の問題ではなく、ヘッドホンをつけるという行為自体に、自分と自分の外側とを意識させるものがあるのだ。

装着すれば、その音は漏れたりしない限り誰にも届かない。
他人には聴こえないようにして音楽を聴く時、音と共に流れている時間は自分だけのものだ。そのことに安心したり、自分だけがその曲を聴いていることに優越を感じたり、音楽に向き合えるような感覚を抱いたりするだろう。問題はこうした当然のことではない。ヘッドホンを付けるときに現れる切断面に問題があるのだ、
つまり、ヘッドホンは外側の音と、聴こえる音楽とを区別して一方を切断するため、こちらに自分と、自分の外側を意識させているのだということ。だから、ヘッドホンをすることで世界と遮断しているとよりは、世界と自分の切断面をヘッドホンをすることで意識できるようになっているといったほうが正しいかもしれない。

はじめから、私と私の外側は切断されている。
それを、ヘッドホンは強調しているにすぎない。
では、そんなものを頭に被っている少女は?


少女はどうしてヘッドホンをつけるのか?
前回から続く問いを考えるために、これまで述べたヘッドホンのイメージと組み合わせて考えてみる。閉鎖的で、危なかっしく、煩わしい機器を頭にかぶる。周りとは隔絶され、自分だけになった世界がある。ひどく寂しいようでもあるし、何かに抵抗しているような印象も受ける。小さな抵抗としてヘッドホンが必要な少女。そんなところに惹かれるのかもしれない。

三雲岳斗『少女ノイズ』にはそんな少女が登場する。

少女ノイズ (光文社文庫)

少女ノイズ (光文社文庫)

 彼女は化粧をしていなかった。時計や指輪などのアクセサリーも一切身につけていなかった。裸足で、制服のスカーフも外している。
 たったそれだけで、彼女は普通の女子高生とは異質な存在に変わってしまったようだった。生活感がまったく消えて、遺棄された身元不明の死体を見ているような気分になる。そしてなによりも異質だったのは、彼女が身につけているヘッドフォンだった。
 携帯プレーヤー用のコンパクトなイヤフォンではない。スタジオ録音などで使う密閉型のごついやつだ。クラブのDJでもなければ持ち歩かような巨大なヘッドフォ
 ンが、小振りな彼女の頭部をすっぽりと包み込んでいる。(P23)

殺人事件の写真を収集するのを趣味とする青年が、塾講師のアルバイトとして、一人の少女の監視を依頼されるところから物語は始まる。彼女の名前は、斉宮瞑と言い、塾の中で、死体のようにところかまわず寝転がっている。いつも、ヘッドホンをつけて、外界との接触を完全に遮断している。高校生とは思えないぞんざいな態度で青年に接する。一見、周りの人間になんの興味もなさそうな、無気力なキャラクターとして登場するのだ。

しかし、やがて気づく。それはへッドホン少女の一面に過ぎない。
前もって、そのことに気づかせる一文が、以下のようにさりげなく仕組まれている。

僕はすぐに彼女のヘッドフォンのプラグが、どこにも差し込まれていないことに気づいた。瞑は、無音のヘッドフォンを耳にあてて、こんなところに一人で倒れていたということになる。(P24)

そう、このヘッドホンは音楽を聴くためのものでない。
では、少女は何を聴いているのだ。音楽の代わりに何に耳をすましているというのか。
もう一度、コードの先を確認しよう。

ヘッドホンから延びた細いコードは、どこにも接続されることのないまま、頼りなく放り出されている。
それは時間が凍りついたような美しい光景だった。(P245)

確かに「光景」としてはヘッドホンはどこにも接続されていない。
殺人現場の「光景」に固執し、空想のカメラで彼女を被写体として観察し続ける語り手の僕からすれば、そのように映るのは当然のことかもしれない。
だけど、本当にヘッドホンのプラグの先はどこにも接続されていないのだろうか。
耳元に何も聴こえてはいないのだろうか。

読み進めていくと、斉宮瞑は青年の過去の独白をたよりにして、彼のどうしても思い出せない記憶について推理するようになる。女子高生とは思えない卓越した推理力で、青年の過去を明らかにしていき、小説はそのまま周辺で起きる数々の奇怪な事件を解いていく物語として進んでいく。話の展開はその章ごとに違うが、守られているパターンが一つある。それは普段死体のように動かない斉宮瞑は主人公の青年の話に耳を済ませてから動き出すということだ。

「黙ってないでなにか話しなさい」
だらしなく寝そべったままの姿勢で、瞑が告げた。(P78)

予備校の屋上で、寝そべったままの少女に向かって、青年が事件を説明し、それについての返答から、実際に青年がそれを確かめ真相が明らかになる。
そして、その間、ヘッドホンがはずされたという描写はない。
しかし、耳元にはたしかに青年のー彼女の呼び方ではスカベンジャーの一部だけをとった「スカ」のー声はたしかに届いている。
推理というかたちで、返答を返し、実際の事件を解決していく。
これは斉宮瞑が世界の声に耳をすましていることにならないだろうか。
私と私の外側の切断を意識させるはずのヘッドホンはむしろここでは私と私の外側を接続するものとなっている。

そのことがより一層意識されるのは、この小説の最後の三行。
ここにあえて記さないその三行によって、少女がヘッドホンをつけていた理由はきっと分かるはずだ。
そして、この物語を単なる推理小説というものでなく、一人の少女が世界とつながろうとして手を伸ばした青春小説として、または一人の青年とのかけがえのない恋愛小説として複層的に立ち上がってくるはずだ。

『少女ノイズ』では、届けられた外側の声に斉宮瞑が返答することで、世界が切断されているのでなく接続されているのだということが確認できた。
だけど、もう一度ヘッドホンというものを考えた時、果たしてそんなことはあるだろうか。
単純に世界との切断に安心し、音楽に耳をすましているに過ぎないではないか。
再び『少女ノイズ』に戻ろう。最初の章にさりげなく、まるで少女の性格の一端を描写しただけといったかたちで、このような文が書かれている。

おそらく無意識だったのだろうが、瞑は歌を口ずさんでいた。
階段の下の薄闇の中で、銀色のヘッドフォンを両手でおさえて彼女は歌う。その歌声に、僕は立ち止まって聴き惚れた。おそらく賛美歌の一節なのだろう。たいした声量ではなかったし、肺活量が追いついていない感じではあったけれど、それでも綺麗な歌声だった。(P40)

何か私の外側から聴こえてくるものを聴いた結果、無意識にでも世界に向かって発してしまう言葉。
それを歌であるとした時、この小説のもう一つの側面が見えてくる。

じっくりともう一度、聴こえてくる音に耳をすまそう。
私の外側から何が聴こえてくるだろうか。