7歩目 彼らはインターネットをやっていて、そこに音楽があったってだけのことだよ 

逆ではないだろうか。
彼らは音楽をやっててインターネットがそこにあるってだけだよ」ってタイトルのサイトを観た時、ふと思った。ニコニコ動画Ustreamを活用して、音楽活動をしているアーティストたちを紹介していて、彼らはインターネットを上手に活用することで、自分の音楽を発表することができているという趣旨に帰結されるようになっている。
だけど、少なくともこれまで出会った音楽をやっている人たちを観てて思う。インターネットをやらなかったら、多分その音楽は生まれなかったのではないかと。

山田鰆という友人がいる。

始めてTwitterをきっかけに出会った彼女は、高円寺で30分ほど話した後、「眠いから」という理由ですぐに帰ってしまったような人である。その前にも雪の上を裸足で歩いて風邪をひき来れないということがあった。なんだかんだ言って、付き合いは長く、もう一年になる。

最初はおそらく、彼女の音楽を聴いたことがきっかけだったような気がする。僕がMySpaceに挙がっている曲をおもしろいと思って、褒めたら、じゃあこれ聴いて、これも聴いて、って感じでSkypeで自分の曲を送ってきた。それに対して返答を返していたら、いつの間にか自作の曲を詰め込んだCDを通販しはじめたり、コンピレーションアルバムに参加したり、ライブをやっていたり、ニコニコ動画に楽曲をあげていたりと、積極的に活動していた。

通販の決まったCDにかつてライナーノーツを書いたことがある。
とにかく、私をみて、私をみて、とこちらに迫りながらも、必死に鬼ごっこを繰り返すような、奇妙な切なさをもった音楽だ、という趣旨のことを書いた。
のちのち、本人に会ったら、よく分かったような分からないような顔をしていた。
そういう人である。

でも、よくわかることが一つあって、山田鰆というアーティストはインターネットがなければ、絶対に出会うことはなかったということ。インターネットという場所からでしか、あの音楽は届かなかったし、生まれなかった。それだけは、たしかだ。

卵か先か、鶏が先か。

これはどちらもがお互い出力し合うものであるからこそ分からないということになっているが、おそらく、卵が先か、地球が先かであれば、誰しもが地球が先だと言うように、インターネットと音楽の関係もそうだと思う。インターネットという誰でも作品を提出できる場所があるから、作品が生まれる可能性があり、そうでなければ生まれなかった、出会えなかった音楽が無数にあるのだ。

インターネットだから生まれるというのも実際は違う。
ニコニコ動画「だから」生まれた曲もあり、
2ちゃんねる「だから」生まれた曲もあり、
mf247「だから」生まれた曲もあり、
MySpace「だから」生まれた曲もある。

知らず知らずのうちに、そうしたサイトごとに特色と色があって(前に書いた「圧力」があり)、それに沿って知らず知らずにジャンルはかたちづくられていく。ニューオリンズという黒人たちが白人の捨てたトランペットを拾う場所があったからJAZZが生まれたことと似ている気がする。そこがニューオリンズではなければ全然違うものが生まれたかもしれないのだから。(そして、圧力の原因や特性をひとつひとつ考えていくことで、音楽を語るときに常に抜け落ちてしまう何かを埋められるのではないかということをこのブログは目論んでいる)

もちろん、アーティストの考えや創造性について検証することは大切であり、彼らの過去を追うことで、音楽の語り切れない何かを追うことは必要だと思う。だけど、インターネットというものを考えた時、アーティスト達が、どこだっていいと作品を発表しているのではなく、自分たちの合う場所を意識的にも、無意識的にも探していること自体に目を向けることはできないだろうか。できないのだとしたら、どうしてできないのだろう。
まだ結論は出ない。
ずっと出ないかもしれない。
でも、このよく分からないインターネットという場所で山田鰆に出会った。
こうして彼女の声がこちらに届いている。
一体どうしてそうなったのか。
それについて考えたい。