八歩目 ゲーム音楽はゲーム無しに標題(メイン)音楽となり得るか?


やっぱりゲーム音楽ってのはどれだけいい曲でもそのBGMをゲームプレイ中に聴かないことにはあまり深く影響を受けたりしないものなのだろうか?
ゲーム音楽はやはりゲーム無しには標題音楽とはなり得ないのだろうか?

深夜、Twitterをぼんやり眺めていると、こんなツイートがあった。

彼は、Ustream等の配信サイトでDARIUSやEinhなどのシューティングゲームをやっており、時折、視聴者にゲームのサウンドトラックを紹介していた。例えば、下記のZUNTATAなども彼の配信から聴き始めたものだ。
D
この曲はDSソフト『SPACE INVADERS EXTREME 2』に収録されている。ZUNTATAとはタイトーの音楽チームであり、アルバムは1987年以来80枚以上をリリースしている。代表作としてはDARIUSや電車でGO!など、どこかで一度は耳にしたことがあるかもしれない。

例えば、こんな指摘ができるだろう。
「ゲームのサウンドトラックなんて、熱狂的なファンが制作者に投資するような気持ちで買うものだろ?わざわざ、ゲーム中に鳴る曲をCDで買ったりする必要はないんじゃないか?そもそも、ゲームをせずに曲だけ聴いたところで何が楽しいの?」

上記の文章の「ゲーム」に、あるいは「映画」を代入してもいいし、「演劇」を入れてもいい。サウンドトラックと呼ばれるような曲が持つネガティブな面はだいたいこういう感じじゃないだろうか。つまり、サウンドトラックは作品の一つの付属品に過ぎないのだから、それ自体を取り扱ったところで価値がないのだという発想だ。

サウンドトラックは付属品なのだろうか。

一つ自分の好きなゲームを思い浮かてみよう。もちろん映像やストーリーが思い浮かぶけれど、音楽はどうだろう?例えば、自分が何かしらのことに成功して、成長したと感じた時、頭の中でドラクエのレベルアップの音や、FFの戦闘後のBGMが思い出されたりしないだろうか。そこでは、先に音楽が思い浮かんでから、「あ、この音はあのゲームだ」と想起される。一つの音楽から次第に作品の詳細が思い起こされ、あたかも今自分がそのゲームをやっているような感覚が湧き起こる。つまり、頭の中ではそのゲームの記憶は土台として音楽があり、そこから全体が湧き起こるようになっている。

ZUNTATAの現在のロゴ
たしかに、付属品としてサウンドトラックはみえる。しかし、ゲームや映画や演劇を思い出す時、音楽が真っ先に呼び起こされるような感覚。この時、音楽はコンテンツの中心に自分の中でなっていやしないだろうか。つまり、映像やストーリーと同じように、頭にそれを思い出させるだけの重要な位置を占めていると言える。

そうであるとするならば、ゲーム音楽は逆にゲームが無くとも成り立つとも言えるのではないか。なぜなら、ゲーム音楽を聴きながら、自分の中で勝手に世界観を構築して愉しむことはいくらでも可能なのだから。そして、別にゲーム音楽といったサウンドトラックでなくても、自然とどんな音楽を聴いていても、それはやっていることなのだから。もちろん、ゲームも映画も、その作品を知れば知るほど、音楽がより愛おしく、特別な意味を持つことは間違いない。だけど、音楽を聴くことで自然と映像やストーリーが構築されるのであれば、そのイメージを捨てなくても別にいい。むしろ、自分のイメージとゲームのイメージがちゃんと重なるかどうかを確かめるために、ゲームをやってもいいわけだ。その時、ゲーム音楽標題音楽に成り得るだろう。


先ほど、紹介したZUNTATAは、初期の頃から音楽にストーリー性を与えることで、あくまでサウンドトラックは付属物でなく、中心なのだと主張した。最近になって、12年ぶりにライブが行われたり、iTunesStoreにて、「GROOVE COASTER」がランキング一位になり、音楽と共に高評価されていることも、音楽をただの付属品でなく、画面と音楽を相互に影響をさせあうバランスをプレイヤー自身に作らせるようなやり方自体が上手くいったのではないかと思う。

というわけで、最近、ゲーム音楽を聴くことが増えたけど、何かオススメあったら教えてほしいなー。